マインド

否定せずに他人を受け入れる-自分の常識は他人の非常識-

 

否定しない。

 

大切にしているマインドの1つ。

 

価値観の違いを受け入れることは比較的得意な方だ。

否定して良い方向に進んだ試しがない。

もちろん真面目な議論している場合は別。

 

一方、本当に受け入れ難い時もある。

そこでどう応対するかで人間力が試される。

 

たとえば、常識レベルが違い過ぎて話が通じない場合。

特に人を意図的に傷付ける言動に関してだ。

 

正義感が強いタイプでもない。

だが、過去の経験からそういった行為に強く嫌悪感を持ってしまう。

 

 

ホスト時代の出来事。

 

ホストの同期と二人で帰っていた時。

 

酷く酔っ払ったおじさんが道に倒れていた。

 

一応、声かけとこうか。

 

そう思っていた時だった。

 

同期が率先しておじさんの元に向かって行ったのだ。

 

普段は自分のことばっかり考えている奴だ。

 

他の従業員からもよく思われていない。

 

それでも人を助けることもあるんだ。

 

実は優しい奴なのかもしれない。

 

そう思っていた。

 

 

 

しかし、そいつはポケットから財布を抜き取っていた。

 

まじか。

 

反射的に否定してしまった。

 

 

なっち「いや、それはあり得ないだろ?」

 

同期「え?なんで?こんなとこで酔っぱらってるこいつが悪いだろ」

 

な「それはそうかもしれない。でも人から物を盗むって悪いと思わんの?」

 

同期「思わない。盗まれても自己責任じゃん」

 

な「自分が同じことされたら悲しくならない?」

 

同期「そりゃ仕方ないと思う。でも俺はそんなヘマしない」

 

な「たしかにお前だったら大丈夫だと思う。でもこの人の気持ちを考えたら良心痛まない?」

 

同期「全然。俺が盗まなくても誰かが取るだろうし」

 

な「本当にそう思う?まぁ歌舞伎町の近くだけど。そもそも犯罪なのは知ってる?」

 

同期「もちろん。でもこいつ酔っぱらってるしバレないだろ」

 

な「都心ってわりと監視カメラ付いてるよ?普通にバレるから」

 

同期「そうなん?別に平気っしょ」

 

な「俺はこんなしょうもないことでお前に捕まってほしくない」

 

同期「んー、まぁいいや。そこまで言うならやめとく」

 

 

結果的にそいつは財布を取らなかった。

だが、ずっと不満そうな顔をしていた。

 

僕がしたことは結局、バレるから辞めろと言って説得しただけだ。

行動を変えさせる要因としては低次元なレベル。

 

しばらく頭の中に引っかかっていた。

 

 

自分の発言を見直してみる。

まず、第一声はもう少し柔らかくするべきだったと反省した。

 

原則は否定しないんだった。

どんなに受け入れ難い言動でも、いきなり相手を否定してはいけないんだ。

 

犯罪者の中には、自分の犯罪に対して微塵も悪く思っていない人がいる。

時には感情を優先せざるを得ない場合もあるし、理屈では語れない場合もある。

 

だが、社会的なルールを破れば相応の罰を受けなければならない。

ある意味その人も被害者だ。

 

 

その人のせいだけじゃないと思う。

その人を取り巻く環境がそのような考えにさせた。

それが当たり前の環境だったら感覚はマヒする。

 

自分の置かれている環境はどうだろうか?

 

自分の常識は他人の非常識。

 

だから人を否定してはならない。

そして、定期的に自分のいる環境を疑うべきだ。

時には環境を変える決意をしなければならない。

 

 

一方で、自分にとって揺るがない軸を持つことも大事だ。

僕にとって否定しないというマインドは軸の1つ。

 

性善説で捉えるようにしている。

 

人の言動に対して違和感を覚えた場合は、バックグラウンドまで考慮する。

そこまで考えられる人間はいきなり否定はしない。

否定したくなるのは、その人のことを全くわかっていないからだ。

 

もっと相手を深く理解できるように。

その上で本当に間違ったことをしていたら、気付かせなければならない。

 

これは本当に難しい。

普通に説得してもおそらく相手は話を聞かない。

 

そのまま何も言わないのが一番楽だ。

それでもいつかは気付かなければならないこと。

 

その人がそのままの常識で生きていくことで、周りに悪い影響を与える。

それが悪循環が生み、次の被害者を生む。

 

どうでもいい人間だったらスルーしていればいい。

そんな人にエネルギーを使うほど僕たちに時間はない。

僕は本来意見せずに流すタイプだ。

 

だけど、今回は仮にも毎日顔を合わせる仲間だった。

それに価値観が大きく異なるとは言え、まだ18才という若さ。

余計なお世話かギリギリのラインだが、そのままスルーできなかった。

 

 

教員という仕事は大変だと思う。

学生の時、先生が嫌いだったのは気持ちを理解してくれなかったからだ。

 

悪い事をしたという自覚はあった。

それでも言葉を聞き入れる気にもなれない。

そこには教員と生徒という表面上の関係性しかなかったからだ。

 

悪いことをしたくなる感情を少しでも理解してほしかった。

普通に生きていたら、不良とかそういった類の価値観はなかなか理解できない。

ほとんどの人が理解しようともせず悪だと決めつける。

本当にそれでいいのか?

 

僕は嫌だ。

 

ルールなんて所詮人間が作ったものでしかない。

環境を変えない限りは、自分の周りには自分と同じような人間が集まる。

だから価値観が異なることを受け入れるマインドを持った人は少ない。

 

自分は大丈夫だと思っていた。

まだまだ柔軟性が欠けていた。

それを気付かせてくれた同期にはむしろ感謝している。

 

『我以外皆我師』という言葉がある。

すなわちどんな人間でも学ぶべきことがある。

その考えは常に持っておきたい。

 

受け入れ難い場合は肯定も否定もしない。

 

まずは受け入れる。

 

それがコミュニケーションの基本。

 

真摯に話を聞けば相手の価値観を知ることができる。

こちらの話も聞いてもらえたりする。

 

お互いが冷静になって話せば和解できる場合も多い。

全てが上手くいく訳ではないが。

それでも駄目なら仕方ない。

 

そもそも相手のことを不快にすることを生業としている人間もいる。

そんな人に対しては議論する必要もなければ、真摯に向き合う必要すらない。

 

ネット上や表面上の付き合いならスルーしてしまえばいい。

トラブルにならないように先手必勝で謝ってしまうのも手だ。

自分がストレスをためない生き方が良い。

 

居心地の良い環境を作れるかどうかは自分次第。

そこに余計なプライドはいらない。

イレギュラーな場面に遭遇した時こそ、人間力が試される。

 

ABOUT ME
なっち
恋愛、仕事、お金、人間関係、低身長、いじめ、劣等感、コミュニケーション、社会不適合、あらゆるコンプレックスと向き合う過程で自分が本当に欲しかったものは自信であることに気づく。 20代後半。身長150台。夜職経験あり。 コンプレックスだらけだった自分がストリートナンパをきっかけに人生を切り開く。 人生を賭けて自信を追求中。